施設の体育館にて     © Yu K.

   2005年10月16日(日)午後、アルゲリッチは、ブリュッセル在住のピアニストで彼女の親友でもある酒井 茜と、とある児童自立支援施設訪問した。この施設は全寮制で、10〜18歳の親から虐待を受けた子、学校を追放された子、あるいは少年院を出て行き場が無くなった子などが通園している。彼女は来日前、アルゼンチンでアルゲリッチ音楽祭に出ずっぱりだった。加えて、ストライキ、財団のトラブル等で、連日記者会見に引っ張り出され、尋常でない疲労が蓄積していた。その後での来日は “アクシデント” で1日遅れたが、その疲労を押しての訪問であった。「音楽で心の傷を負った子供を救えるのか」、「音楽で何ができるのか」、という梶本音楽事務所の佐藤正治 氏の試みに賛同した彼女のチャレンジであった。

 始めに連弾で、モーツァルト/四手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 K.381 (123a)  (Piano 1: アルゲリッチ、Piano 2: 酒井 茜)、続いて酒井 茜による、ショパン/マズルカ 第39番 ロ短調 Op.63-1、そして、アルゲリッチ独奏(!)による、J. S. バッハ/イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV.807 〜ブレエ が演奏された。ここで、アルゲリッチから、生徒に質問。 「速い曲がいい? それとも遅い曲?」。会場からは、圧倒的に「速い曲!」の声。そこで、連弾で、シューベルト/2つの性格的な行進曲〜第1番ハ長調 Op.121(D.886) (Piano 1: 酒井 茜、Piano 2: アルゲリッチ)が演奏された。最後は、彼女の十八番で、ラヴェル/マ・メール・ロア (Piano 1: アルゲリッチ、Piano 2: 酒井 茜)より、第1曲:眠りの森の美女のパヴァーヌ 、第2曲:おやゆび小僧、第3曲:パゴドの女王レドロネット が、演奏された。しかも、曲の始まる前には、彼女自身による曲の簡単な解説があった。なお、ピアノはヤマハ株式会社の協力により、程内 氏が開発中の “スペシャル・ピアノ” が提供された。

 演奏が終わった後、生徒からいくつか質問があった。「アルゲリッチさんにとって、ピアノとは何ですか?」という質問には、「人と同じような存在です。子供の頃は怒りを抑えるために、ピアノを弾いていました。スポーツをするのと同じです。ゲームをしているようなものでした。」の答え。「ピアノを弾いていて、指が痛くなったりしませんか?」という質問には、「曲にもよりますが 、歩くのと同じようなもので痛くなるようなことはありません。ヴァイオリンを弾く時のように、不自然な姿勢を強いられることもありませんし。」との事。また、「尊敬するピアニストはいますか?」には、「生きている人でですか?死んでしまった人では、ホロヴィッツ、リヒテル、グルダなどですが、若い人では、キーシンです。好きなピアニストは沢山います。」との事。

 生徒との交流の後、校歌を聴いた彼女は、ピアノを伴奏していた少年に、「あなたは才能があるわ!何か弾いて聴かせて。」 と声を掛けた。そこで急遽、彼はショパン/24のプレリュード 〜雨だれ を弾いた。彼女は彼の音楽性を絶賛し、最後、贈呈された花束から、何本かの花を彼に与えたのだった。心の傷を負った彼が、どれほど勇気付けられたであろう。これから生きて行く上で、さらなる困難が降りかかろうと、どれほどこの 「事件」 が彼の心の支えになるであろう。以前、彼女が訪問した学校には、今まで一切作文を書く事が無かった自閉症の子がいた。アルゲリッチの音楽を間近で聴いた彼は、生まれて初めて作文を書いたという。人の心を魅了して離さない彼女の音楽、それを表現する超人的なテクニック、そして何十年もピアノの頂点であり続ける強靭な肉体、愛に満ちた人格、そして魅力的な美貌、存在自体が奇蹟のような彼女は、今も世界中で奇蹟を起こし続けているのである。

 

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