ハンブルク マルタ・アルゲリッチ音楽祭 2024 公式ホームページ


会場のDeutsches SchauSpielHaus

ルガーノ音楽祭は、本当に素晴らしかった。2015年に一度だけ行ったけれど、毎日が感動の嵐。音楽祭としては理想形だと思った。その流れをくむハンブルクのマルタ・アルゲリッチ音楽祭。6月はルガーノ同様、日本脱出が難しい月だ。あっという間に何年が過ぎてしまったが、今年は6月22日にショパン 舟歌、他を弾くという。私は彼女の舟歌が本当に好きで、私が死ぬ前までに、ぜひもう一度聴きたいと長年思っていたし、死ぬ時は、これを聴きながら死にたい、と思っている位なのだ。当初は諦めていたが、22日は土曜日。うまくやりくりしたら行けるのではないか、と思いはじめた。「おいでよ」という声にぐらつき便を入念に調べたら、22日(土) 深夜0時5分に羽田を発ち、ドバイ経由で同日14時過ぎにはハンブルク中央駅前の会場に着く。コンサートを聴いて翌朝6時の便でハンブルクを発ち、パリ経由の便なら24日(月)朝5時55分に羽田に戻れる。そこから職場に直行すれは、週明けに穴を開けなくて往復が可能だ。コンサートが終わって空港に向かうのは0時過ぎ。6時の便のチェックインは4時。空港ロビーで4時間過ごせばハンブルクに行って聴けるのだけれど、0泊3日の弾丸ツアーだ。大丈夫かしら? この手は、ミンコフスキー(だけではないが)を世界中に出かけて聴き続けているぷーいちさんが有名だけど、彼に倣って、もう行しかない、と航空券をクリックしてしまった。

行く前に、体操のひろみちお兄さんが脊髄梗塞で半身不随となった、というニュースが飛び込んできた。エコノミー症候群が関与か? ハンブルク、寒いよ、という情報もあり、わずか4時間の滞在だけど、空港の隣のホテルを予約した。あとは飛行機で、どう寝るか、だ。週末、ふだん通りに過ごすか、あるいは飛行機で寝るかの違いだと割り切った。


ハンブルク駅前と会場入口

行きはドバイ経由。家内はBateelのデーツを買ってきてね、とリクエスト。ノルマを果たしてハンブルクへ。若い時は新幹線でも飛行機でも4時間を過ぎると、もう限界だったが、歳を取ったら平気になった。機内ではいつも映画を何本か見るけれど、最近はもっぱら日本映画が多い。ハリウッド映画は、近年、本当につまらないものばかりだ。面白かったのは、「生きててごめんなさい」。女優の穂志もえかの心理描写の表現が素晴らしい。グラミー賞とかアカデミー賞とか、アメリカ・ローカルの賞には興味も無いし価値も見出していないが、彼女には受賞の資格がある。今後が楽しみな女優に出会えた。


会場にあったプログラム、パンフレットなど。もちろん無料。

日本からわざわざこの日だけのために聴きに来るのに失望させたらどうしよう、とか、難しい曲ばかりで極度に緊張している、とか言っている。私は、いつも公演前には彼女には会わないようにしている。自分の公演の時には雑念から逃れ集中したいし、彼女の邪魔はしたくない。METの公演をWOWOWで見ると、幕間にインタビューして沢山しゃべらせている。合成・演出ではなく、もし本当にやっているなら、あり得ない。声も精神もを休ませなきゃならないのに、到底考えられない。いつも見ていて不安・不快だ。

 
後半の劇のためのバルコニー席への試照。最初、何で照明が当てられたのかわからなかった。お陰で彼女に見つかってしまった。


マウリシオのメフィスト・ワルツをドラム・セットの椅子に座って聴くマルタ。

という訳で、目立たないように、しかし近くで、という右側のバルコニー席で彼女のGPを聴いた。ドビュッシー さえぎられたセレナード、舟歌、24のプレリュード〜17番、マズルカ Op.24-2、それから、夜のガスパール〜オンディーヌ、水の戯れまで弾いた豪華版リハ。このバルコニーは、後半の劇で使う、と言うので、前半はここで聴き、後半は1Fの同じ位置(双方とも客席には開放していなかった 。1人独占)で聴いた。「後半、劇でここ使うんだけど」、「わかった。じゃ後半、下に移動するね」、「OK」、で終わり。神経質、過剰に仕切られる日本と違って、海外では信頼の対応なので、本当に居心地がいい。

    入場パス

プログラムは、ご覧の通り。しかし実際にどう演奏、展開されるのかはさっぱりわからない。幕が開いたら、出演者一同が椅子に座っていていて、顔出し。会場は爆笑。直ぐに幕が閉じて開いたと思ったら、いきなり彼女のドビュッシー さえぎられたセレナードが始まった。彼女の初演だ。前奏曲 第1集は全曲弾いて欲しいなあ 、と何十年も願っている。実は、1か月前の東京でも、彼女はこの曲の断片を弾いていた。まさか、新たにこの曲を弾くとは思わず、ヒナステラ アルゼンチン舞曲〜粋な娘の踊り、とすっかり勘違いしていた。そうなのだ。ドビュッシー の前奏曲集!なのだ。時おり、地下鉄のゴーッという音が聞こえる。草月ホールと同じ位かな。 ここはコンサート・ホールではなく、かなり古い(そして美しい)劇のための劇場とのこと。
次に、ドイツ語のシェクスピアが始まったが、内容はさっぱりわからない。次にジャズ。そして、マウリシオ・ヴァリナのリスト 忘れられたワルツ第1番、メフィスト・ワルツ 第1番で前半は終了。

後半は、ジョルジュ・サンドの劇の合間に彼女が登場し、ますはシューマン 幻想小曲集〜夢のもつれ。これは、彼女としては珍しくミスタッチ多発で極度の緊張がひしひしと伝わってくる演奏だった。そこから、遂にショパン 舟歌、24のプレリュード〜17番、そしてマズルカ Op.24-2の3曲が続けて演奏された。どれも絶品の揺らぎの中に身をゆだねて夢のような至福の時。ああ、私はこの瞬間に立ち会うために生きている。そして、あっという間にその時は過ぎて行く。舟歌を聴いたのは、2000年のカーネギー・ホールでのリサイタル以来24年ぶり。24のプレリュードに至っては1976年6月に東京で聴いて以来、何と48年ぶりだ。特に17番は、ちょっと 特別。マズルカは、2010年11月のトリフォニー以来、14年ぶり。この3曲セットは、また、弾いて欲しい。何度でも.....
再びサンドのドラマが繰り広げられた後、ラヴェル 夜のガスパール〜オンディーヌ、そしてアンコールのジャズ。まあ、多岐に渡る盛り沢山の内容だった。でもこれは実質、彼女のソロ・リサイタルでもあったのではなかろうか。

終わって楽屋に挨拶に行ったら、涙が滲んできた。年配の女性が、「私、録音したわよ」、「まあ」、「でも1個所間違えたわね」。ミスタッチは1箇所だけでは無かった。何と余計なことを。 しかしマルタは笑顔で一切に気にしていない。そう言えば、2000年のカーネギーのリサイタルで公式録音、録画が行われず、どうしてこんな貴重な公演を記録しないの? 残念だ、と言ったら、「あら、あなた録音しなかったの?」と。返す言葉が無かった。

打ち上げの 時、この女性といろいろな事を話した。出てくる話題がちょっと普通では無くて、後日、この方はアナベル・ホワイトストーン Annabelle Whitestone という伝説の人物であることがわかった。なるほど。マルタとは古くからの親友なので、あのような事を言っても全くOKなのであった。

打ち上げの 途中だったけど、23時に地下鉄S1で空港に向かった。駅の案内に“空港”の表示があったので、てっきり全部空港に行くのかと思ったら、途中で別れて別の方向へ行くS1もけっこうあったようだ。実はソフトバンクの海外放大というのを初めてドイツで使ってみたのだが、全く役に立たず、地図もほとんど表示されない。気付いたら空港を逸れて東方面に行っていた。 こりゃあだめだ、と降りて人に聞いても、皆「空港?知らない、と」。多分これかな、と、ほぼ無人の駅から逆方向に乗って、少し大きな駅で降りて確認。普通なら25分程度で着くはずが、1時間以上かかってしまった。ただでさえホテルの滞在時間が短いのに... しかし、シャワーを浴びて、1時間半だったけど、ぐっすり寝れた。フライト2時間前の朝4時にカウンターに向かったら、何と大混雑。預け荷物が無かったので、セルフ・チェックインで間に合った。朝4時なのに、驚き。

月曜朝、無事に東京に戻り出勤。それから毎日、ゴンドラではなく電車に揺られて 、舟歌、17番の左手、マズルカの余韻に浸っている。頭の中では無限ループ再生状態。私はもうじき67歳になる。同世代の友人、知人たちはコロナ以降亡くなった人も多く、癌で闘病中の人も少なくない。強行軍の遠征だったけれど、まさに死ぬ前に聴けて、本当に良かった。いつもながらAkaneさんに 本当にお世話になった。 心から、ありがとう!


久々にサインを頂いた。楽譜はもちろん”舟歌”

HOME